おきなわに胸つかまれた2005

4月20日

けんけんしながら ようやく飛行機にのり 機内食を期待していた私とムーは 空腹で那覇空港にいた。(スッチーあめくれた)

空港で沖縄そばを食べた。店員の おばさんとお姉さんの中間ぐらいの女の人の笑い声が、南国だった。レンタカーでホテルへ。

駐車場が立体でムーはびびっていた。あるいて首里城公園にいった。城はしまっていたけどそのへんあるいたあるいた。(赤木ある暗いスペースどんよりとよかった)

三線茶屋のお兄さんに声かけられて、座ったけど 逃げた。


美大の前も通った。木や花がおそろしい勢いで道の両側から頭上から襲いかかってくる。妖怪みたい。いろんなへんな人だらけ(木のこと)へんな人たち(木のこと)そんな勢いでずっとおったらすごくつかれるやろと心配になる。スッカンと明るいを想像してたけど はじめから何やらいろいろありそうで どきどきする。何かうごめいているうずまいている。

ひたすらあるいてきげん悪くなってきたころバスにのった。すこしおかしい親切なおばさんがバスの行き先教えてくれた。アメリカ風の店もたくさんある。国際通りでおりて、平和通りあるいた。何ともいえない濃い空気で夏のかんじが なつかしかった。市場通りで なんじゃら市場(※公設市場)の2階の食堂にいった。1フロアにたくさん店がある。客引きは 絶妙なスキをついて大声を掛けてくる。

ハッ!と思ったら 店の前でメニューみせられて中華と沖縄料理の、中国人がやってる店に入ってしまった。ソーメンチャンプルとグルクンの唐あげとパパイヤチャンプルたのんだ。単品たのむとごはんとみそ汁がついてくる。沖縄は。この店はコーンスープがついてきた。

食べていると隣の店の店じまいが始まった。バイトの女の子が 古株のパートのおばさん(スポーツがり)に怒られながらおそうじをしていた。かわいそう。中国人店主はビールをかたわらに会計をしめている。テーブルに 青いビニールシートなんか掛けちゃった。味はふつうでした。

同じテーブルで前に座っていた2人の若い男(広島?)はたぶん初々しいカップルだとにらんだ。ラーメン半分わけしたり、「野菜たべる?」とかゆって 仲良い。


ホテルではウエルカムドリンクくれたからうれしかった。よきやの缶コーヒー思いだした。あれ。のんだのは出かける前でした。これを書いているのは 東京に帰ってきて4日もたっているので、記憶はすこしずれているのです。そしてホテルのへやはふつうだった。

回廊から1階の何もない空間がみおろせる。手すりから ヘんな植物がだらだら たれている。もう寝た。

朝 バイキングで、ぜんぶとって食べた。本当はパンたべたかったけど 小さい羽虫がたくさんたかっとったから ごはんにした。ゆっくりでて、ムーは道まちがえたりしてちょっとキピキピしているが無視。浦添ようどれとかいう所に行ったら しまっとった。

さきま美術館(ムーが詩にかいた)にいった。館長さんがおられてムーが詩集を渡していた。

戦争を描いた作品。外人の作家の特別展をやっとったけど、抽象的でよく伝わってこんだ(”食人の習慣”)。それより、版画作家よかった。(ケーテ・コルビッツ)

女が7、8人かたまっている“母”という作品。目と手が印象的。有名な沖縄戦の図の連作、チビチリガマでは84人が集団自決した。常設展示のでかい絵は たしかにおそろしいけど でかすぎて注意力散漫になってしまった。想像していたより、せまってこなかった。同じガマの絵でも、もう 死んだような目をしている絵と、まだ生活がある目をしている絵とがあった。はさみ や かみそりでやれ 手りゅうだんを下さい

かでな基地の横の道の駅で基地をみた。くろいきもちわるい飛行機が 爆音をたてて すぅ~~とおりたり上がったり 何ともきもちがわるかった。一度 本当に近くまで くろいやつがおりてきて ちぢみ上がった。自分ちでやればいいがに。人殺しのれんしゅう。

下のレストランでは米的メニューしかなくて サンドイッチをたべた(ベーコンかみ切れんで一口くったらぜんぶでてきた)。ムーはタコライス。ゴーヤ茶、にがくなくてふつう茶やった。コーヒーものんだ。

家族づれの客がきた。3歳くらいの子が窓から飛行機をみて、「戦闘機戦闘機!」とはしゃいでいた。そのレストランではバイトを募集していて、応募のでんわがかかってた。16歳の子。

でて、どっか向かっとったら、途中でムーが「この辺にチビチリガマある」といった。行きたいといったら「え~~、言わんだら良かった」などとぐずりはじめて、道難しくて行けるかわからんと言いだしたが、どうしても行きたいから 行った。ムーの 昔 自転車で行ったときの記憶ですぐにたどり着いた。


畑の中の道路に車を停めて、石段をおりて 木がもじゃもじゃした中にガマがあった、遺族の会のひとたちのかいた立札に、わたしたちの肉親のほねをふみつぶさないでくださいと書いてあり、立入禁止だった。あたりまえだあたりまえだ。できるだけ脳みその力をふりしぼって想像した。手をあわせて、涙でた、わたしは一生戦争に反対しつづけますと誓った。何も理由ない、ふつうの人たちがこんな風に殺される理由はない、 想像した。

海洋博公園にいった。水族館しまっとったけど、マナティー館とか屋上カメとかおって それはみれた。マナティーの母子 へんな角度で重なってじ~~としとった。彼らなりに甘えたりじゃれたりしとるがかも。男と女とさくで区切ってあった。かおとかお近づけてじ~~としとった。

ジュゴンのはくせい 吊り下げられとった。ほんまにはくせいながかわからんけど、実物大で、下からみれてよかった。でも へそなかったぜ、べろ 濃灰色でふとかった。

海の保育園もみた。さめのこどもとか マンタのこどもとか かわいい かわいいぜ、ちょっといじめたくなるぐらいかわいじらしい。

カメもいろんな種類いっぱいおった

カメ…かわいいといえばかわいい、グロテスクといえばグロテスク。でも こどもはとってもかわいい。カメはカメとしてずっとおる。カメとして思い 生きて死ぬ。

ピュピュッ ピュピュッとリズム刻んで 出てくる噴水 あった。

アダンの木のパイナップルに似とる実は、よくみると、先っぽくずれてすこし乾燥したできもののあつまりにみえてきもちわるい。

備瀬の集落いった。すっごいすごいすごいすごいぜ

ものすごいでかい並木の間に家がある。どの家も周りが木で囲まれてある。こんな所におったら目みどりになりそうや。集落の中には小さい商店けっこうあった。食堂さがしたけど、あやしい店しかない。“コッコ食堂 地どりそば”と明るい感じの看板がいくつか出てたので 案内に従ってたどりついた。中をのぞくと近所の寄合の雰囲気だったのでやめた。車とめる所も 廃車廃材の山で怖かった。

食堂みあたらんから、ホテル通りすぎて先の街までいこうとしたら、ホテルの横が「海の駅」だった。狂喜乱舞して、海のさち食べた。

海ぶどう海鮮丼と ムーはゴーヤチャンプル。

とろろこんぶ汁がうまいと思ったら、それは“アオサ”だとムーが教えてくれた。


みどりとオレンジ!!に光るさしみを発見。なんじゃろなんじゃろ 味はふつうにうまかった。

海ぶどうは プチッ ちょっとぬるぬる。

私たちの8番テーブルはオーダー忘れられていて くるのが遅かった。ムーちゃんは、「ちょっとくるのが遅かったような気がしますけど」と、穏やかに店員に抗議していた。怒りはものかきの源。

「海の駅」は広~いおみやげフロアもある。

明日、おみやげ ここで買いましょう。

明日の朝のサータアンダギーかった。

ホ・テ・ル・の・へ・や。

ダイニングキッチン…と思ったら階段が!!

ロフトがある(←寝室)~♡とおもったら その奥に和室まであった。有線も全体できける。

コンビニでインスタントコーヒーもかったし。

そして窓から暗い海がみえた。バルコニーで歯みがきもした。

しかしトイレやおふろがガラスばりで、半分から下はほんとにスケスケで丸みえだ。これは変。

朝 海の駅でおみやげを大量に買い込んで一部 親戚に送った。

そのまえに 半潜水ていマハイナ号にのりにいった。

ホテルからバスで港まで行った。うちらと おじさんひとり。運転手の愛想わるかった。

真黒な運転手の生活など ぼんやり想像していると、ラジオでゆびパッチンが亡くなったと言っていた。

半せんすいって何やろ、どんな船だって半分沈んどるなかとおもっとったけど、底から海底がながめられた。さんごとか、魚とかがずっとおる。しかし窓ガラスが汚くてよくみえん。

なにか果てしなく あきらめに似た気持ちになってきた。さんごとか、魚とか、海とか、あわとか、かぜとか、ずっとおる。抵抗できん。

やすらぐというよりは、もっとちがう感じ。

心のばしょを探す。

フィルターとして生きたい。場所やものは 私がわざわざそこに行って見なくても ずっとそこにあるが、あえて見にいく。何の為でもない。

いろいろなものを、日々の出来事や人やじぶんの感情の変化も、冷静に 自分の中を通過させて その後を見届けたい。悲しいときは特に。

辺戸岬にむかった。海ぞいの道を走った。昼で腹減って機嫌わるくなってきて 店もなくなってきて、“やぎ料理”の看板をみつけた。ムーはいやがったが引返して入った。

カウンターで、食べ終わった小皿を前にぼんやり腰かけていた客。と思ったら店の主人が、よろよろしながらお茶をはこんできた。

やぎそばと、ムーはてびち汁を注文した。

ずいぶん待った後、よろよろのおじさんが、てびち汁をこぼしながら持ってきた。てびち汁は ムーのずぼんにも かかっていた。

やぎそばは、麺がみえないほど どっさりやぎ肉が のっかっていた。すこしくさいが思ったほどではない。汁も 濃いめに味付けしてあり、しょうがのすりおろしもついていたので投入した。

ムーのてびちはすごかった。大きさも量もみためも想像以上だったが、かじってみると もうそれ以上は無理だった。ムーはひとつ全部たいらげていたが 後は残していた。

やぎそばの汁は、みどりがかっていて、全部はのめなかったけど、おいしかった。肉も麺もぜんぶたべた。

帰り、よろよろのおじさんは 奥で寝ていた。

おばさんが会計をしてくれた。100円安くなっていた。まちがえたのだろう。たくさん残したし、100円だし、だまっていた。

ムーが「残してすいません」といった。


辺戸岬 沖縄本島最北端 さいほくたん サイホクタン

ここでのろしをあげたりして 返還運動をした。

海のなみが 蛍光みずいろで 不思議なのでずーっとみていたら ムーにせかされた。

碑文が印象的だった。生きとし生けるものが 自然の摂理にしたがって 生きながらえられるようにねがってこの碑をたてた、とかいてあった。

返還運動の資料などながめた。写真は、みな顔がいきいきしている。ハチマキの文句など力強く、共感できる。

おきなわの歴史におもいをはせた。重い、思い、

おきなわ戦の写真集があった。

占領された日付などものっている。

日本軍がつくった 竹製のオトリ飛行機

たおれた日本兵の横を行軍する米兵

集団自決の写真は大きなページを黒くぬりつぶし、片すみに小さくのせられている。

保護された おさない子供

熱心にみていたら またムーにせかされた。

証言のページもあったが、タイトルだけで悲惨すぎて読めなかった。

売店でコーヒーのんだ。おねえさんは とても生活のにおいを漂わせていた。私には愛想がわるかったが、他の客にはにこやかだった。

へのこに向かった。

マングローブのしげみに寄った。

じぶんの足もとに 子孫を生やして、子孫とじぶんがかさなりあって せめぎあって 狭そう。

しおが満ちてきて マングローブの足もとに 水がよせてきた。地面にあいていた穴から 小さい泡がでてくる。ぷつぷつ小さい音もしている。

穴から とんとんみー-が出てきて 水あびしている。

ひん死の小さい たこが流れてくる と思ったら マングローブの花だった。

とんとんみー や かには 嬉しそう

左だけ はさみがでかいかにもいた かにやにか

ムーが昔泊まった”海と風の宿”に 本を持ってたずねた。この宿はムーが詩に書いている。

玄関の前で、車椅子の主人と真黒いお手伝いさんと近所のおばあさんが ひなたぼっこしていた。

ムーが私を紹介すると 主人は、しきりと「よかったね おめでとう」と繰り返していた。下手したら あのままノーヒットノーランだったかもしれないのにねぇ。よかったね。素敵なひとじゃない。おめでとう。

宿のノートに メッセージを書いた。まだまだ消化できません と書いた。

宿はちいさくて、みんなで寝て、みんなでごはんをつくるんだって。

お手伝いさんだと思った黒い人は きのうから泊まっている客だった。

その人にみんなで写真をとってもらった。

主人が、なんとかさんのなんとか焼の小さいおさらを お祝にくれた。青と白でかわいい。

ムーの詩集を、前の小説より良いと誉めていた。しかし主人はさみしげだった。奥さんに逃げられたらしい。南国でひとり もきっと さみしいにちがいない。気の毒だ。

皆で見送ってくれた。

へのこの海岸へいった。米軍基地の飛行場建設に反対する人たちのテントに行った。毎朝7じから4じまで船を出して、建設の為の調査の作業船が動くのを ふせいでいる。

すごいぜすごいぜ

テントの中で 沖縄タイムスで熱心に勉強している女の子と、その横で女の子に答えているおじさん。10人ぐらい人がいて、なにかすごみがあった。ムーが本を渡して、私は2千円寄付した。女の子は、「“本土”という言葉、私たちも使わないようにしないとね。言葉には気を付けようね」と言っていた。


私は、何か 後ろめたいような気持になって… 励ましのことばなどもかけずにテントを出た。

海岸へいくと、砂浜から海へ向かって 基地との境のつくつく針鉄フェンスがあった。基地反対のきもちを書いた たんざくリボンが たくさん結んであって 風で揺れていた。たんざくたくさんたんざく

アメリカの軍の基地なんて、はやく なくなってほしい。アメリカにも腹立つけど、日本の政府に腹が立つ。自衛というならアメリカから守ってくれ

島を2つもわたって、3つ目の伊計島へいった。そのまえに、本島で、”琉球ダイニング とりで”で おしゃれなおいすぃい~~ゆうげじゃった。me→ソーメンチャンプルーと、ムー→海ぶどうパスタ(←しそ入り)、うなぎにぎり 豆腐よう ジーマーミどうふ(ピーナッツのとうふ)のあげだし 島どうふの柳川風 紅芋スティック(シナモンかかっとった)をたべた。みんなとってもおいしかった。豆腐ようは、おいしかったけど泡盛がたくさん入っていたので 2人とも食べられず残念だった。


ーーーつづくーーー