可虐、被虐、戦争

こどもの頃から、戦争のことはずっと考えていた。考えるというより、日常が急になくなってしまうこと、人間の暴力性、残虐性、じぶんや家族について選択を迫られる場面を具体的に想像しておびえていた。日常場面でも、暴力についてはずっと頭から離れない。病気の域に達してるぐらい常に考えてる。怖くてたまらない。

じぶんは話せる口があり、動かせる手や足があるので、じぶんの可虐性(調べたらこの言葉は出てこない。ないのかな。じぶんが暴力を振るう能力を持っているという意味。)を意識した小学生の頃、離人症に苦しんだ。目を開けて、見える景色が常に斜めに傾いていて、それまでの世界とはまるで違う。現実にふれられない、親しい世界はなくなってしまっていた。

死ぬときに、じぶんのままでいられるんだろうか。誰かを失ったり、傷つけられたり、誰かを撃ったり、暴力を振るったり残虐行為をした後、精神が崩壊したり、崩壊しない精神に絶望してその後の時間はどうなるんだろうか。弱い自分はいま眠れなくなってしまった。ずっと離人で耳鳴りがしたまんまのような、世界が全く変わってしまうような、たぶん言葉を失ってしまうような、そんな時間をどう過ごすんだろうか。大事だと信じていたものをじぶんが投げ捨てる瞬間に耐えられるんだろうか。耐えられるもなにも、そういうのが戦争だと思う。なにもかもが変わってしまい二度と口がきけなくなるんじゃないだろうか。だいじょうぶ、だいじょうぶってじぶんに言い聞かせたいけど、だいじょうぶな根拠はない。じっさい今も戦争は続けられている。

浮遊する城・りょう城のお城

危険なので本人以外入ってはいけません