自己肯定感とか、価値とか。

言いたいことはすごくわかるんですが、どうでもいいんですよ、そんなものは。

自己肯定感が低いと感じているとしましょう。その肯定感は、誰に持ってもらいたいものか←自分。その自分を肯定していない。肯定していない自分に、肯定してほしいのか?ほら、どうでもよくなってきたでしょ。

よく、価値があるなんていいますね。生きてるだけで価値があるとか。言いたいことはすごくわかるんですが、どうでもいいんですね。魚ときのこ、交換しようよ。あなたがいらなくなったそのギター、私に譲って。560円払って買う価値のある煙草。3000万円のポケカ?ほら、お互いに、欲しいものも、価値を感じるものも違うんです。価値って、そもそも主観的なものなんです。生きてるだけで、価値があるって、なんの、誰にとっての価値なのか?あんたは誰なんですか。私が、あなたにとって価値があるなんて失礼な。私にとって価値があるなんてもっと失礼な。私はあんたを知らんのですよ。と、こうなるわけです。

なので言いたいのは、自己肯定を求めることも生きてる価値を見出すこともやめられないのが人間なんで、そこ意識しとかないとやばいってことです。それがないからって、そもそも立ってる地面がないんで、大丈夫です。

と、まことにどうでもいいことを申し述べました。どうでもよろしい。好きにすればよい。

浮遊する城・りょう城のお城

危険なので本人以外入ってはいけません