会話、言葉、せつない

会話って、せつなくも難しい。言葉というあやふやなものをやりとりして何か共有しようとする。言葉は化学反応も起きるし関係はシーソーみたいに物理的。ちょっとした加減で相手との関係が動く。人と人との関係って、数字や数式で表せるんじゃないかと思うことがある。


人はなにか理解しようとするとき、現象の中から法則をみつけようとする。いわゆるカテゴライズ、レッテル貼り。それがないとなにも始まらないし、人の性だと思う。でもみえてる現象はぜんぶじゃないし、法則はいっこじゃない。おなじ時間に同じ場所にいても、人それぞれ認識が違って、しかも同じ人でもそのときの状態によって見方が違う。言葉も、レッテル貼りのために生まれたもので、使ってる言葉がその人の認識を表す。


「状況」について話し合うとき、それを言いだした人(含む自分)の言葉に引っ張られることってある。そんで、いろいろ言葉を使って話して、ちょっと落ち着いて、あれっ!!そもそも、そんな状況に今いるんだっけ…?なにを解決しようとしてたんだっけ。ってなること、あるね。自分は思い込みが激しいから、いっこの言葉に認識を縛られて、それにあてはまらないことをぜんぶ忘れていたりする。あわわわ。人って言葉で認識するから、結構言ったもん勝ちになってしまって、あとで、あれっ?てなる。


男でも女でも、無口な人に憧れてしまう。強くて自立しているように見えてしまう。あと、かけひきができる人(待てる人)。言葉で人を攻撃しない人。


言葉の不完全さは、「何かを言うこと=何かを言わないこと」ってとこにもあって、これはとてもせつない。ぜんぶを同時に言うことはできないし、何かを言えばどっかに矛盾があって、そこを直そうと一生懸命話すとまた別のとこに矛盾が…と、とてもせつない。でも、伝えたい、とか、わかりたい、とか思って話す。人って人のことどんだけわかるんだろう、もともと脳ってバグってるし、男女の脳ってかなり違うみたいだしね。

浮遊する城・りょう城のお城

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